為了前去參加記念出生於平戶的鄭成功400周年紀念儀式,7月14日(星期日)專程前往了長崎縣平戶市。
原本,儀式會場是設定在鄭成功紀念館前的,因為下雨的緣故,臨時變更場地到「平戶文化中心」舉行。
會場中,在舞台上設有鄭成功像的祭壇。有來自平戶市的市民及行政相關人員,還有來自臺灣臺南市、中國福建省南安市等各界人士,約聚集了500人左右,整個會場都爆滿了。
典禮採用日本神道教的儀式舉行,在念誦祝禱詞後,相關人士會供奉上玉串的方式。
在神道儀式結束後,是由南安市文化館藝術團表演宮廷儀式的「佾舞誥祭」。
接著,當地的中野自安和樂(JYANGARA)(念佛舞)保存會表演威武的國家指定重要無形民俗文化財「平戶JYANGARA」。
平戶市與外國的交流歷史起源非常的早,1609年時,江戶幕府准許進行貿易的東印度公司,在平戶城城主松浦隆信爺的指示下,設置了荷蘭商館,因此這裡發展成為了東亞的貿易據點。
近年,平戶地區與鄭成功的關係,是在鄭成功逝世300周年的1962年,臺灣臺南的延平郡王祠送來砂子才展開的。在1982年之後,持續接待臺灣親善訪問團前來的交流等活動。於1990年起,每年的7月14日舉行鄭成功祭典活動。
2024年4月29日,平戶市與臺南市簽訂「友好交流協議」,更加加深了交流事業。
千里濱 鄭成功紀念公園
《關於鄭成功》
鄭成功於1624年出生,父親是在平戶經營貿易生意的鄭芝龍,母親是當地女子 田川松,他在平戶生活到7歲。
之後才回到父親的故鄉福建省。後來從事反清復明運動。於1661年率領2萬5千海軍攻佔了荷蘭人佔據的臺灣據點—臺南熱蘭遮城,結束了臺灣被荷蘭的統治的時代。隨後,到1683年為止的22年期間,鄭家三代建構出了鄭家的臺灣時代。
他建立了臺灣獨自的政權、奠定了促進臺灣的發展的基礎,直到現在都被尊崇是臺灣人不屈不饒精神象徵的「開山始祖」「民族英雄」。
鄭成功門
鄭成功記念館
【日本語】
『鄭成功生誕400年周年記念式典に参加しました!』
平戸で生まれた鄭成功の生誕400年記念式典の参列するため、7月14日(日曜日)長崎県平戸市を訪問しました。
当初、式典会場は鄭成功記念館前に設定されていましたが、雨天のためを急遽「平戸文化センター」へ変更しての開催になりました。
ステージ上に鄭成功像の祭壇が設置された会場は、平戸市民や行政関係者に合わせて、台湾台南市、中国福建省南安市などから訪れた関係者計約500人で満席です。
式典は神式で行われ、祝詞(のりと)のあと関係者による玉串奉奠(たまぐしほうてん)がおこなわれました。
神事終了後のアトラクションとして、南安市文化館芸術団が宮廷儀式の演舞「佾舞誥祭(イツブコウサイ)」が披露されました。
続いて、地元中野自安和楽(じゃんがら)保存会により国指定重要無形民俗文化財「平戸のジャンガラ」の勇壮な舞が披露されました。
平戸市と海外のつながりの歴史は古く、1609年に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が、平戸城主松浦隆信公の導きによってオランダ商館設置したことにより平戸は東アジアにおける貿易拠点として発展しました。
近年の平戸と鄭成功の関係は、鄭成功逝去300周年の1962年に台湾台南の延平郡王祠から砂が届いたことから始まり、1982年以降は台湾からの親善訪問団を受け入れるなどの交流が続き、1990年から毎年7 月14日は鄭成功まつりがおこなわれています。
2024年4月29日、平戸市と台南市は「友好交流協定書」に調印し、さらに交流を深めています
《鄭成功について》
平戸で貿易商を営んでいた鄭芝龍と、地元の田川マツのあいだに鄭成功は誕生し(1624年)、7歳まで当地で暮らしていました。
父親の出身地である福建省に移り住んで反清復明運動を続けるなか、1661年2万5千の大水軍を率いてオランダの台湾支配の拠点である台南に上陸しゼーランディア城を攻め落としオランダ支配を終わらせた。
その後1683年までの22年間にわたる鄭氏三代にわたる鄭氏台湾の時代を築きました。
現在では、台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いたことから、台湾人の不屈精神の支柱・象徴「開発始祖」「民族の英雄」と評価されています。
文:BABI/翻訳:編集部F