為大家介紹電影《來自廚房的花束》(日語)
「ふーみん(Fumin)」是位於東京青山古董通地下一樓的中式家常菜館。
老闆齊風瑞(暱稱Fumin 媽媽) 在日本出生長大,父母親都是台灣人,兄弟姊妹有一男四女,她是家裡的長女。
當她還是一名年輕的美容師時,有一次她請朋友到家中作客並親手做了家常菜,當時她的朋友告訴她:“太好吃了!但是只有我們能吃到真是太可惜了!”。正因為這句話她在1971年開了自己的餐館。
在接下來的50 年裡,店裡的廚房一直可以看到身材嬌小的Fumin媽媽揮舞著大大的炒菜鍋的身影。
這部電影是一部描寫Fumin 媽媽的生活態度以及她和周遭的人共同刻劃的生活的紀錄片。
這家店深受許多人的喜愛,其中包括許多著名的創作家和記者們。過去 50 年來甚至在營業時間前就已經有顧客大排長龍。
影片剛開始是餐廳的常客們介紹自己最喜歡的料理。每個人的介紹都很吸引人,其中有許多菜單是採納了客人的意見而添加上去的。
看了之後會讓人產生“走出了電影院後我一定要去吃中國菜!”的心情。
Fumin 媽媽深受喜愛的理由,不僅是因為她的廚藝,還有她的人格特質。我認為她的人格特質反映在她做的料理上,是只有在這家餐廳才能找到的味道。
電影後半段是她訪台尋根的過程,有她到熟人家聚餐一起吃家常菜,還有和老朋友重逢的場景。從那裡可以感受到她對於自己遺傳了父親的味蕾,還有從母親那裏得到的愛與承襲母親勤奮的特質有著深刻的體會。
「我們是透過吃而生存於這個世界」這句話可說是這部電影的總結。
電影放映後的訪談節目中登場的菊池久志導演和Fumin 媽媽
Fumin 媽媽:
・電影拍攝的開始,我便沒有把它當作是一部電影,而是把它當作私人的紀錄。
・希望你能感受到溫暖,就像微風照拂在身上的感覺。
・希望你能跟你珍惜的人和所愛的人圍繞著餐桌一起享受美食。
・料理就是風土人情,是緊密結合家族情感的產物。
・顧客的反應是讓我快樂地持續下去的動力。 “堅持下去就能成為力量”
・吃美味的食物會讓人心情變好。
菊池導演:
・電影名稱:《來自廚房的花束》原本是當初暫時取的片名。
・花束並非指具體的東西而是「天大的禮物」的意思。
來自會場觀眾的聲音
・看完之後現在感覺很幸福。
・我想見我的家人了。
電影院:Denkikan
【日本語】
『台湾人ルーツの女性料理人「ふーみん」のドキュメンタリー映画』
映画「キッチンから花束を」(日本語)を紹介します。
東京青山の骨董通りの地階にある中華風家庭料理のお店「ふーみん」。
オーナーの斉風瑞(ふーみんママ)は、台湾人の両親をもち、一男四女の長女として日本で生まれ育ちました。
美容師だった若いころ、自宅で友人に手料理をごちそうした時、友人から「私たちだけで食べるのはもったいない。おいしい!」の一言で、1971年料理店を開業。
それから50年間、店の厨房で小柄なママが大きな中華鍋を振り続けてきた。
この映画は、そんふーみんママ生き方と、取り巻く人と共に描いたドキュメンタリー映画です。
お店は、有名なクリエイターやジャーナリストなど多くの人からも親しまれてきました。
50年間ずーっと営業時間の前から客の列が絶えないそうです。
上映間もないタイミングで、店の常連さん各人の一押しメニューが紹介されます。それがどれも魅力的で、中にはお客様の意見を取り入れて加わったメニューがいくつもあります。
もう「映画館を出たら絶対中華食べたい!」って気持ちになるのです。
ふーみんママが愛される理由として料理はもちろんですが、その人柄だと思います。というか人柄が料理に反映されていて、この店でしか出会えない味になっているのだろうと思います。
映画の後半、自分のルーツである台湾に訪問し、知人宅で家庭料理を食べたり、旧友との再会のシーンが有りました。そこで、台湾人の父親から味覚、母親からは愛情や努力することを受け継いだと実感されたのだろうと思います。
「食べることは生きること」締めくくりの言葉です。
上映後のトークショーに監督の菊池久志氏と、ふーみんママが登場されました。
談:ふーみんママ
・撮影を始めた当初、映画だと思ってなくプライベートな記録の撮影だと思っていた。
・やさしい気持ちになったり、やさしい風を感じていただけたらいいなぁ。
・大切な人、愛している人と食卓を囲んでほしい。
・料理=風土 家族が紡いでいくもの。
・お客様の反応が楽しくて続けてこれた。「継続は力なり」
・美味しいものを食べると機嫌が良くなる。
談:菊池監督
・タイトル「キッチンから花束を」当初は仮タイトルだった。
・花束=具体的なものではなく「大きなギフト」
会場から
・観終わった今、とても幸せな気持ちになりました。
・家族に会いたくなりました。
映画館 Denkikan
文:BABI/翻訳:Faye