『地下水城市–熊本』是一個使用了阿蘇的地下水供給74萬市民的生活用水的水源城市。
利用這個豐富水源與綠意盎然所建造出的美麗迴遊式庭園,就是「水前寺成趣園」。
它就座落在汽車與路面電車交雜的市中心,園內沉穩的氣氛,非常適合在其中悠閒漫步。
這裡是肥後細川藩的第一代藩主–忠利(TADATOSHI)(1586年~1641年)在放鷹外出時,見到源源不絕的清水湧出地這塊土地,非常喜愛,就在此設了「御茶屋」,之後才開始利用起這塊土地。
第三代藩主–綱利的時代則大規模地建造庭園,堆出象徵富士山的假山、浮石、松樹等,於1671年完成了桃山式美麗的迴游式庭園。採用了中國東晉詩人「陶淵明」的詩『歸去來辭』,因此命名為「成趣園」。
是日本有名的大名庭園之一,於1929年被指定為國家名勝、古蹟。
左:細川 忠利 右:細川 藤孝(幽齋)
出水神社
西南戰役之後,為祈求衰弱的熊本的今後發展,舊熊本藩士們於1878年建造了此神社。
由水前寺成趣園擁有、管理出水神社。
稻荷神社
由京都的伏見稻荷大社所分靈出來的出水神社的末社。主要祭祀著食物之神、產業之神。
結緣之樹「竹柏」
自古以來就是結祥的植物。
據說只要持有這樹的葉子,男女間的緣分就不會斷,會結緣。
這樹下有著結緣的椅子。
能樂殿
在大名之中,細川家是非常愛好能樂的。即使在近代,到戰前為止,細川家都熱愛著能樂。
每年8月的第一個星期六都會舉辦薪能。另外,這裡也被用來舉行爵士演奏及音樂劇、舞蹈表演等。
古今傳授之間
京都御所內的一處於1912年時移建到與細川家有關聯的土地上。
中央的柱子是超過400年,當時建造時的柱子。
園內最佳的眺望風景的位置,同時也能享受茶點。
公園內免費導遊(英語)的「DISCOVERY KUMAMOTO」的成員。
1901年九州首座公共電話亭(復原)
伴手禮、飲食「みはらし(MIHARASHI)」
正門旁的店家。店裡面有正在吃剉冰的客人。
【日本語】
『水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)』
阿蘇の伏流水により、市民74万人の水道水源を地下水で賄う『地下水都市・熊本』。
その豊富な水と緑が調和した美しい回遊式庭園が「水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)」です。
車や路面電車の行き交う市内中心部にありながら、園内は落ち着いた雰囲気でゆっくり散策が楽しめます。
肥後細川藩の初代藩主・忠利(ただとし)(生1586年~没1641年)が鷹狩に出かけた際、渾々と清水が湧くこの地を気に入り、「御茶屋」として利用されたのが始まりです。
3代藩主、綱利の代に大規模な作庭がなされ、富士山をかたどった築山、浮き石、松が浮かび上がる桃山式の美しい回遊式庭園が1671年に完成しました。
中国東晉の詩人「陶淵明(とうえんめい)」の詩(帰去来辞)より「成趣園」と命名されました。
日本が誇る大名庭園の一つとして、1929年国の名勝・史跡に指定されています。
左:細川 忠利 右:細川 藤孝(幽斎)
出水神社
西南の役のあと、疲弊した熊本の発展を願った旧熊本藩士たちが1878年に社殿を創建しました。
水前寺成趣園は出水神社の所有・管理です。
稲荷神社
京都の伏見稲荷大社の分霊を祀る出水神社の末社。
食物の神様、産業の神様として参拝されています。
縁結びの木「梛」(なぎ)
昔から縁起の良い植物とされています。
この木の葉を持っていると男女の縁が切れない、縁が結ばれると伝えられています。
木の下には縁結びのベンチが有ります。
能楽殿
大名家の中で細川家はとくに能楽を愛好していました。
近代になっても戦前まで細川家では能がたしなまれていました。
毎年8月第一土曜日に薪能が開催されます。
また、ジャズ演奏やミュージカル、舞踊などにも利用されています。
古今伝授の間
京都御所内にあったものを1912年細川家にゆかりのあるこの地に移築されました。
中央の柱は400年以上前の創建当時のものです。
園内一の眺望を観ながら座敷でお茶を楽しむことが出来ます。
公園内の無料ガイド(英語対応)をしていただいている、「デスカバリーくまもと」皆さま。
1901年九州初の公衆電話ボックス(復元)
お土産・食事「みはらし」
正門脇にあるお店です。
中に入ると、かき氷を食べているお客さんがいらっしゃいました。
作者:くま台湾Neo BABI